ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス


この映画が公開されたとき、こんな図書館のドキュメンタリー映画、しかも3時間半もの映画、誰が見るの?と思った人も少なくないはず。この映画が公開されて割とすぐに図書館業界のどちらかといえばベテラン組にさしかかった人たち向けの全国的な研修があった。講師の一人に「見た人」と言われ、手をあげられないことの恥ずかしさったら。でも、そんなベテラン組でも意外と見ている方は少なくて。50人強(たしか)ぐらいの参加者うち、10人満たないぐらいだった気がする。(まだ都内でしか公開されていなかったから、もちろん物理的に見られなかった方もいるはず)個人的に感じたのは、図書館と関係ない業界の人、しかも年配の方々がよく見られていたようで、「見た?」と聞かれて、これまた「見てません」と答える恥ずかしさったら。。。

これはもう、「見てません」と答えるより、3時間半と往復の時間を何とかやりくりして見に行かないとならん、と調べ始めたらもう公開は終わっていました。

アマゾンプライムで予約してやっと見ました。諸先輩方。しかも、2時間ぐらいたったところで挫折して放置してあったのをやっと3年越しで全て見ました!(もう、誰も聞いてないから)

見た感想の一番で書くべきことではないとは重々承知の上で、あえて言いますが!

職員の年齢層が高いことにまずびっくりしました。

もちろん、若手ホープ、みたいな方もたくさんいて、しかもけっこうタトゥーを入れている方が多くて衝撃的。あれで子どもに接するのかー、すごいな。しかし、日本の図書館のドレスコードが真面目すぎてなんだか軍隊に見えてきた。(価値観の急激な変化)

話を元に戻しますが。とにかく年齢層が高い方がまだバリバリ現役で働いていらっしゃって、安心した。所属館で気づいたら自分が一番年上になっていて、

あれ?あたしったら、そろそろ辞めなきゃいけない?とたまに内心焦る。

特に、パソコン周辺の操作で誰かにものを尋ねるとき(自分でググれ、って話だけど)

いやいや。まだ全然行ける、自分。と勇気を取り戻す。まだまだ、どちらかといえば若輩者。(これは言い過ぎか)

あと、年齢の次にびっくりしたのが、図書館員、しゃべりまくるなー、って度肝を抜かれた。欧米の図書館員は修士以上が多いみたいだから、資格の前提条件が日本と違うのはもちろんそうなのだが、言語能力とプレゼン能力半端ない。

言葉の可能性、対話の可能性、説得力の可能性、、、。

職場の仲間同士で「私たちはこんなにやってる、他の自治体も参考にしてる、もっとやるわよ」的な励ます言葉。

予算を獲得するために「電子書籍の貸出増加率300%、これなら説得できる、すばらしい数字だ」とか。

「行政は、図書館はもう十分役目を果たしていると考えている、追加の資金投入は見込めない、存在感をあげないと、行政の出席できる会合には参加しまくろう、協力できることがないか狙って協力を持ちかけよう、これにも参加しよう、あれにも参加しよう、とにかく図書館の存在感をあげていこう」

みたいな、会話だったり対話だったり、延々と語っている。

トップだけではなくて、とにかく全員がすごいのよ、どの立場の人も語ってるの。

タトゥーの人も。「放課後お勉強会します、じゃ、ティーネイジャー来ない。ゲームやります、とかにしないと」とか。

「今日は何人の子に声をかけた。やってこなかったけど、声をかけ続ける、図書館がここにある、情報がここにあることを知ってもらわないと」とか。

言葉って、こんな風に使うためにあるんだなー、自分にもこんな風に言葉を使う可能性があるんだな、これはぜひ使わないとあかん。

人に話しかける、とか、発表するとかの経験値の圧倒的な違いって、すごくある。波風立たないように、和を大切にする日本と、他国と国境を接していて、移民も多く、経済格差もあり、自己主張やプレゼンがサバイバルとして必要な欧米諸国。これは、、、ちょっとやそっとの経験値の違いではない。もう、相当意識して磨いていかないとまずいかもーーー。

図書館ができること、っていういろいろな文化的な企画だったり、放課後の企画だったり、デジタル格差解消の試みだったり、そういうのももちろん参考になるんだけど、

何よりもこの、言葉の力、協力を得るために言葉ってこんなに有効なんだという気づきを得られたこと、これが今の私にとっては一番の収穫でした。職場で、もっと言葉を磨いて、たくさん使っていくぞー、と。ひいては、周囲の関係施設の方々に対しても。

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 フレデリック・ワイズマン監督 エクスリブリスフィルムズ  2019年(2017年公開)


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