大ヒット映画の原作。映画もすごく好きで、何度も見た。以前はアンディに共感して見てたんだけど、いつの間にかミランダにも共感していた。『マディソン郡の橋』などそれまでのイメージから一線を画したカッコいいマダムのメリル・ストリープ。
ファッションなんて下らない、人間は中身が大事、と考えていたアンディだったが、ミランダやファッションデザイナーに敬意を表して、かどうかはともかく、ジミーチュウのハイヒールやシャネルをがんがん着こなし出してから、アンディとミランダはお互いをある程度受け入れながら、最強タッグを組んでいく。部下は有能な上司を求め、上司は有能な部下を求めるのがこの世の常。映画の方が、人間関係が無難で見ていて気持ちが良い。原作はアンディが最後までミランダを嫌っていて、別れ方もあまり気持ちの良いものではなかった。下巻は読まない方が良かった、とコメントに書いている人もいた。
映画の中で、アンディがナイジェル(ミランダの片腕)のところに愚痴りに行った時、ナイジェルは「嫌なら辞めろ。甘えるな。彼女は自分の仕事をしているだけ」(She is just doing her job.)っていうのがカッコよかった。
映画の中で、ドレスに合わせるベルトを真剣に議論しているミランダとスタッフのやり取りを聞いてアンディがプッと吹き出した場面があった。「何がおかしいの」というミランダに、「私には、二本のベルトは全く同じに見えます」と。
ミランダは、あなたが量販店で何気なく買ったそのセーターは「セルリアン」という色だと教える。ラピスでもターコイズでもなく、セルリアンだと。デ・ラ・レンタがソワレを何年に発表し、サンローランがミリタリージャケットを発表し、全米のデパートや量販店で取り入れられていった、と。もともとはここにいる私たちが選んだ色なのだ、と。
ファッションに限らず、こういうことってきっとたくさんある。
文学でも、詩といえば韻を踏んで、何行詩、とか決まった形式があったのに、
アルチュール・ランボーとかの散文詩からその後の詩人が散文詩を書くようになった、とか。例えば。そういう事例ってきっとたくさんある。知らないだけで。
だから、新しいものを生み出そうと日々たゆまず誰かがしている努力は水の一滴一滴が石に穴を穿つように、何らかの痕跡となる。
ナイジェルが、(映画か原作かどちらか忘れたけど)ファッションは日々身にまとうものだから、より貴い。と言っていた。
着るものに困る人に日々の選択肢を与え、何をどう着るべきかの指針を出す、と。もちろん皆が皆そんな生活をしているわけではないけれども。レストランのシェフだって、日々の食を支えてくれているわけで。最先端のレストランやデリカテッセンが提案していくから、やがてスーパーに新しい食の組み合わせが行きわたり、ちょっと新鮮に感じられるレシピのお惣菜が並んでいくのかも。
プロの仕事を垣間見させてもらった。
プロ意識を感じられるのが好き。
『プラダを着た悪魔』上下 ローレン・ワイズバーガー著 佐竹史子訳 早川書房 ハヤカワ文庫 2006年
『プラダを着た悪魔』 アン・ハサウェイ、メリル・ストリープ出演、デイビッド・フランケル監督 2006年