雪国


新千歳空港のホテル内のライブラリーカフェで手に取った『文学効能辞典』にて、「日本に旅行した気分になりたいときにおすすめの本」として紹介されていた。ちょうどキンドルの中に入ったまま読み止していたのを思い出す。日本に旅行した気分になりたいときに読む本かぁ、だいぶ前の日本だけどいいのかな、と思いつつも、確かに旅情はあるし、まず雪景色がすごいからと納得。自分もフランスの気分、とか、ニューヨークの気分、とか感じたいときその場所が舞台となっている作品を選ぶものね。それに、いつの時代のフランスか、というのはそんなに重要ではないのかもしれない。いつの時代でも、フランス人にはフランス人の、精神だったり衣食住含む文化だったりあって、そんなものを感じ取りたくて、その国の作品に手を伸ばすこともある。

『雪国』には、文章を読んでいるだけで雪国の映像が目に浮かぶような圧倒的な自然描写がある。まず列車の中で、曇った窓ガラスに映る女の顔だったり。降りた駅で土地の人がしている服装、耳を覆うものだとか、軒先から垂れるつららを見て、そんなに寒いのか、と主人公が恐れおののく部分だったり。

私は谷崎潤一郎とか、太宰治とか、どっちかというと『くどい系』?!の人が好きだから、川端康成みたいな『あっさり系』(笑)の人はあまり読んだことがなかったのだけど、この雪国の舞台背景のしんとした感じと、著者の静謐な文体がマッチして、(あと、多分に雪の降る北海道を訪れたこともあって)、思いがけなく素晴らしい読書体験となった。なんてったって、泣く子も黙るノーベル文学賞受賞作家だしね。そういうもんだと思って読んでいるわけでもありますが。

主人公が出会った女が、意外にも小説が好きだったり、16歳からずっと日記をつけていると知って、ちょっと話すところがある。主人公が「感想をつけてるの」と聞いたら女が、「感想なんてものではない、タイトルと、登場人物の名前だけ」みたいに答えて、主人公が「徒労だね」女が「徒労ですわ」。っていうところがおかしかった。身につまされて。でもその後、主人公が、女にとって徒労であるはずがないのはわかってる、みたいに一人で思っているところがあり。

徒労なんだけど、徒労じゃないんだよねー!

しかし、この本を読んでいると、急速に失われつつある日本の文化だらけで、この文学作品を後世に残すにはいったいどうすれば、と途方に暮れてしまう。火鉢、とか、芸者とか、都都逸とか、三味線とか、まあ、源氏物語だって歴代の文学者が翻訳して伝わっているわけだから、どなたかがいずれ翻訳して下さるのだろうが。便利なものを求める人間の心が後戻りすることはないのだろうし、こんな雪深いところに住んでいたら男性に頼らなければ生きていけないだろうなーと思うし、隣近所の人ももちろん大切だろうし。

「雪国」の冒頭の一文は日本人なら誰でも知ってるぐらい有名な一文だけど、

これは「清水トンネル」のことで、「湯沢温泉」が舞台です!

たまたま私が北海道に行ったというだけです。念のため。

『雪国』 川端康成著 初版 昭和31年 角川文庫 (電子書籍:平成25年)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です