「メタバース」という言葉はこの小説から生まれたということで、読んでみた。初めの1ページ目からシビれてしまい、ウイルスに私も感染したーー。
ピザ配達人と、特急便屋、カッコイイ。
カッコイイヒーロー&ヒロインは、絶体絶命の逆境でもサバイバルできる運の良さだったり、助けを呼べる人脈だったり、自分の職務能力だったりを持っている。
完全に一個人として自立してる上で、誰かと一時的にパートナーシップを携えたり、とにかく自由に行動できるのね。
置かれた状況を悲しむとか愚痴るとか、無駄な行動しないの。カッコイイ。。。
主人公はピザ配達人でもあり、ハッカーでもあるのだけど、メタバースの住人についてこんなふうに考察してる。
-現実の地球には、六十億から百億の人間がいると言われる。略。そのうち、自分用のコンピュータを買えるほどの金を持っているのは、約十億人。この連中だけで、残りのすべての人の財産を集めたよりも多くの金をもっていると言える。そのうち、実際にコンピュータを買えるのは四分の一、〈ストリート〉のプロトコルを扱えるパワーをもったマシンを買えるのは、さらにその四分の一。つまり、いつでも好きな時に〈ストリート〉を訪れることのできる人間は、約六千万。そのほか、自分では買えないが、公衆マシンを使ったり学校や勤め先のマシンを使えるという人たちが、約六千万。任意の時刻における〈ストリート〉の人口は、ニューヨーク・シティの倍というわけだ。-
メタバース、っていう場所が、現実世界よりもどんどん魅力的な場所になるなら。
なぜなら、どこからでもアクセス可能だし、自由に出入りできるし、現実の距離を超越するからだし、お金と時間をかければファッショナブルに装うことも可能だから。
人によっては現実世界よりも長時間そこで過ごすことが可能で、現実世界よりも現実的になることもありえるわけだ。
という可能性を無限に感じさせてくれるんだけど、それでもヒーローとヒロインがヴォイスフォンで待ち合わせしたり、チャイニーズのテイクアウトをシェアしたり、メタバース上で待ち合わせしたり、現実世界の良さの方がやっぱりどうやっても上!と思い出させてもくれる。
途中から、暴力的になったり、宗教や言語について果てしない議論が始まったり、ピザ配達人恐るべし、っていう頭の良さなんだけど、頑張ってついて行きたくなるぐらいヒーローが魅力的。
職場の外部研修で、図書館員は科学や数学の分野に弱い、それじゃあまともな選書はできない、科学や数学の第一線の本を読まないとダメ、みたいなことを言われたことがあり、まあ、そりゃあそうだろうけどさ、と思ったことを思い出した。
時々、こういう小説に出会うとその分野の知識がないことを痛感する。。。
ヒーローは日本人の血が入っていて、祖父が第二次世界大戦で持ち帰ったという日本刀を所持し、ハッカーであるとともに、剣士も名乗っている。
メタバースには日本人もたくさん描写されているのだけど、それが全て集団で行動して黒いスーツを来ていて、顔のない集団として描かれていて、カラフルなゼリーの中に黒い鍵が何本も刺さっているような違和感、など、日本人って、こんな風に見えているのかしらーーー。って、その辺だけちょっと悲しい。
ま、分からないでもないのだけど。。。
よく見れば色々違うところもあるし、これはこれで便利なんですよーーー♪
『スノウ・クラッシュ上』 ニール・スティーヴンスン著 ハヤカワ文庫SF 日暮雅通訳 2001年