スノウ・クラッシュ(下)


ヒーローとは言いたくないけど、もう一人、重要な登場人物が現れた。上巻で大男、とたびたび表現されていたので予測はできていたのだが、ヒロが世界一のワルになることを諦めさせた、ワル中のワル、レイヴンの登場だ。

 洗脳されかけて、<ラフト>上で配膳係としての仕事に慣れ始めていたY・Tの前に、レイヴンが現れた。レイヴンはY・Tの姿を眺めまわし、いくつか言葉を交わし、Y・Tを子どものように抱き上げると、勝手知ったる<ラフト>上を、Y・Tの手を引いて先導していく。

 <ラフト>上にも、客船の一等船室のような場所があり、高級ホテルかと見まごう一つのコンテナに、レイヴンはY・Tを案内する。そこは、レイヴンが最後の晩餐ならぬ、最後の晩を過ごすために予約した場所なのだった。

 レイヴンは自身の生い立ちを語り、いかにアメリカを憎んでいるか、アメリカに核攻撃を仕掛けるという自身の目標をY・Tの耳元に囁く。

 レイヴンは、Y・Tの問いに対して、おれは波乗りをしているんだ、と答える。カヤックに乗って、波の動きを読んで、波の力で世界を渡り歩く。オーソの考え方に全て共感しているわけではない。人と金とパワーがあるから、利用しているのだ、という。

 Y・Tには、レイヴンの言うことがよく分かるのだった。

 ボーッとしているY・Tの頭の中に、重要なこと、何か避妊に関することが浮かび上がりかかるが、その正体を掴みかねるまま、Y・Tはレイヴンと時間を過ごす。
 
 グッスリ眠るレイヴンを横目に見ながら、Y・Tは重要なことをやっと思い出した。下半身に埋め込んでおいた最後の砦、デン・データに仕込んでおいたものの存在を。レイヴンは予期していなかった時に、銛に撃たれたのだった。
 Y・Tが仕込んでおいたデン・データの微小な針は、相手を4時間眠らせておくことができた。
 Y・Tはレイヴンを起こさないようにコンテナを抜け出し、船上の重要人物たちがいつでもアクセスできるように並んでいたメタヴァース・ターミナルからヒロにアクセスしようとする。
 
 ヒロのアヴァターは、アンクル・エンゾから現状どうなっているかの情報を求められた。大金で情報を買い取るから、Y・Tと半分に分けろという。ヒロは、アンクル・エンゾとミスター・リーの大ホンコンに、簡略に現状を説明する。そしてヒロが必要としているものを入手できるよう協力を仰ぐ。      

 ヒロはY・Tが喜んでくれるだろうと思って成果を報告するが、Y・Tはボーイフレンドに殺される、そんなお金は私の葬式代にしかならないと言う。話を聞いてヒロは愕然とする。

 Y・Tは到着したヘリから人が降りてきてボーイフレンドを蘇生させようと駆け込んでいくのを見た。そしてY・TはL・ボブ・ライフに捕らえられる。
 ヘリコプターの下に、ヒロが見えた。Y・Tはとっさに隠れたが、ヒロはY・Tの姿を見つけると負けを悟った。Y・Tは人質に取られたことが死ぬほど恥ずかしかった。しかし、Y・Tはヒロに必要な”メ”の粘土板を思いっきり突いて地上に落とした…

 Y・Tは窓越しに、もう一機のヘリが編隊飛行していることに気づく。医務隊員とレイヴンが座席におさまっているのが見えた。レイヴンはゴーグル・インしているようだった。が、ふとゴーグルをずらすと、Y・Tと目が合った。Y・Tの心臓は、ウサギのように飛び跳ねる。しかし、レイヴンは微笑み、手を振ったのだった。

 ヒロとレイヴンはメタヴァース上で戦っていた。ヒロは自分の父の物語を語り、レイヴンもレイヴンの父の物語を語った。二人には宿命的な因縁があったのだった。ヒロは、もう充分に復讐したと思わないか、とレイヴンに語りかける。充分などということはない、とレイヴンが答える。

 Y・Tは隣を飛んでいるヘリを見る。レイヴンの表情は、まだゴーグルインしていた。しかし、レイヴンはまたゴーグルをずらし、Y・Tを見た。Y・Tはレイヴンが彼女を恨んでいないことを知った。彼女を愛しているのだった。

Y・Tは襟の手動解除レバーを引き、身体中のエアバッグを膨らませると、重力に身を任せた。十回は跳ねた。耳鳴りがする。鼓膜が破れたらしい。

 だが、レイヴンはそういったものを眺めていない。彼は窓越しにY・Tを見ている。そしてヘリが前傾し、加速する間際に、彼はY・Tに微笑みかけ、親指を立てた。Y・Tは下唇を噛み締め、彼に向かって中指を立てて見せた。これで、ふたりの関係には終止符が、願わくは永遠に、打たれたのだ。

『スノウ・クラッシュ(下)』

 下巻では、上巻の伏線がいくつも回収される。ヒロとジャニータの物語、アンクル・エンゾの物語、連邦府と母親の物語。”メ”とイナンナ、エンキの物語、スノウ・クラッシュの物語…

 レイヴンとY・Tの物語が終わった後の物語は、私には印象が薄い。すぐに内容を忘れて、あれ、この物語って最後どんな感じで終わったんだっけ、と何度も読み直した。

 人にはそれぞれ抱えている大義名分があり、大義名分が異なると共に生きることはできないのだな、と改めて感じた。

 上巻はヒロとY・Tの友情を感じたが、下巻はレイヴンとY・Tの愛情を感じた。言葉、思想、ウイルスというものを上・下巻ともに扱いながら、上巻と下巻は全く異なる物語のようでもあった。また、人種による少数民族への差別やそれに伴う恨みの感情、世界大戦という歴史、海賊たち、連邦政府たちの仕事ぶり、などなどあらゆるテーマが渾然一体となり、読み応えのある小説だった。

 お仕事小説のようでもあり、恋愛小説のようでもあり、もちろんS・F小説でもあり、過ちを反省させると言う意味では歴史小説とも、民族や人種の誇りや命をかけた戦いと言う意味では戦争文学であるとも感じた。
 

『スノウ・クラッシュ(下)』 ニール・スティーヴンスン著 日暮雅通訳 早川書房発行 2022年 電子書籍版 


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